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「光」三浦しをん 感想

 

光 (集英社文庫)

光 (集英社文庫)

 

     

 3人の視点から話が進んでいく小説。不幸な事が次々と起こるので、続きが気になってサクサクと読めた。

 まずタイトルだが、なぜ「光」だったのだろうか。明るい話ではないため、ポジティブな意味での「光」ではないのだと思う。

『光がすべての暴力を露わにした。』

 ところどころに出てくる「光」は悪い事が起こるような、見つかるような、そんな不吉なものだった。解説の吉田篤弘氏は、「光=神様」と解釈していた。「神様=光は何もかもを平等に照らし出してさらけ出す。」「我々はその光から逃れられない。」小説の中で起こる津波、虐待や浮気は現実で起こらないものではない。不幸は誰にも降りかかるし、向き合わなければならない。不幸から逃げることはできないのだ。物理的にも光はどこまでも侵食してくる。そんな不幸に登場人物はどう向き合うのか。

 輔(たすく)の場合

 輔の不幸は虐待・支配を続ける父親の存在だろう。輔には母親がいなく、父親もいないと同然であるため、愛を享受せずに生きてきた。そんな不幸に対して、輔は信之に助けを求める。自分の存在を認めてくれる人間だ。輔の生きがいは信之に認めてもらうこと、構われることである。欲求段階説でも社会欲求と愛の欲求は、人間の欲求として最初の方にくる。そんな輔は皮肉にも信之に殺されてしまう。ただ輔が殺される時、輔は幸せになったようだ。輔が殺される場面で、そのような表現がなされている。

『何か言おうとしたようでも、笑ったようでもあった。』

『そこにはわずかに、驚きと喜びの色があるようだった。』

輔は愛を求め生き、そして信之に殺されるという最大の愛を受け取って死んだ。なんとも残酷ではあるが、輔はこれで満足だったのだと思う。

 信之(のぶゆき)の場合

 信之の不幸は、かつての恋人の愛する美花が自分の側から離れていること、美花が安心して生きれる状況ではないことだ。それらに向き合うために信之は殺人や騙しを続けることになる。美花のためなら何でもするという信之は輔と同様に愛を求めて生きている。クールな印象の信之だが、愛に狂い冷静さを欠いている場面もある。

『だが、やはり美花も俺を忘れていなかった。俺を呼び、求めている。』

そして信之は美花のために、すべてを片付けたのだが、思い通りにはいかない。美花は自分のことなど求めていなかった。不幸に立ち向かい、愛のために奔走したが、殺人などの罪が残り、妻からの信頼は失った。

 美花(みか)の場合 

 美花の不幸はない。そもそも美花視点で書かれていなかったから、詳しいことは分からないままだ。ただ、美花のマネージャーの発言から何となく推測することができる。

『篠浦の才能は、女優としてのものだけではありません。そのとき自分にとって必要な男性を、うまく動かすことができる。わかります?』

美花にとって津波も山中との淫行も一時的な不幸であって、自分の人生を突き動かすような不幸ではない。立ち向かう不幸など存在しないのだ。美花はあまり感情がなく、社会で何となく生きていければ良いという考えである事が推測できる。信之に対しても誰に対しても愛がなく、自分の社会的な成功が中心にある。

 南海子(なみこ)の場合 

 南海子の不幸は、不安そのものである。失踪した人殺しの夫、思い通りならない娘、近所やママ友との付き合い。すべてに対して不安を抱いている。それに対して南海子は立ち向かう。それなりに頑張っているのに、上手くいかない。そんな南海子だが意外にも冷静な女性であることがわかる。夫が失踪してから数日に間に、夫の愛を信じて帰りを待つのではなく、一通りの事を済ませた後、お金のことやこれからの事を心配し始める。

 

 何が不幸で何が幸せなのか

  それぞれの登場人物を見てきたが、客観的に不幸なのは誰であろうか。私は不幸なのは、若くして死んだ輔と人殺しをした信之だと思う。美花と南海子はどこにでもいる真っ当な人間だとも言える。

 不幸な輔と信之に共通することは、愛に忠実だったこと。これは特に美花と対照的である。輔は信之に愛を求め、信之は美花に愛を求めるが両者とも結末は悲惨なものとなっている。対して美花は最初から愛など信じず、人を利用してのし上がる。また南海子は愛をすぐに捨て、効率よく生きる方にシフトする。そして不幸にはなっていない。

 ただ、美花と南海子は幸せなのか

 美花と南海子は不幸ではないと思うが、だからと言って幸せでもないと思う。それは何も求めない、希望がない生き方であるからだ。輔と信之は客観的に見ると不幸せかもしれないが、美花と南海子よりも幸せに近かったのだと思う。それは一回しかない人生を必死に生きようとした事にそう感じたのだからだと思う。人を利用して女優として成功したり、娘を良い学校に入れてあげるためにいい人を演じるのは、生きていて楽しいのだろうか。それが幸せなのだろうか。

 

どう生きる

 美花から死んで欲しいと言われた信之は、何もなかったように南海子の元へ帰ってくる。その後の信之の人生はどうなるのだろうか。簡単に予想できる。「死んだも同然で生きていく」のだろう。信之は生きる希望だった美花に突き放され、希望も何もなく生きていくのではないか。美花の事を想い、嫉妬したり興奮したり、時には人まで殺してしまうほど生き生きしていた信之はもう見られない。 

 無難な生き方とはよく言ったもので、難が無い生き方をどう思うかである。人を殺すのはもちろんいけない事だけど、難に立ち向かってこその人生だと言えるのかもしれない。難に立ち向かった時に、人の感情は動く。笑ったり怒ったり泣いたり、それが人としての生き方なのかもしれない。死んだ輔を除いて、信之、美花、南海子はこれから無難な人生を送っていきそう。何にも感じず、ただうまく生きていく。それが人生であっていいのか。

 

 「暴力はやってくるのではなく、帰ってくるのだ。」

『息をひそめて、待っている。再び首をもたげ、飲みつくし、すべてを薙ぎ払うときを。それから逃れられるものはだれもいない。』

 光は暴力を露わにして私たちに向かって降ってくる。それにあっさり負けてしまうのか、それとも負けを認めないでいつまでも戦い続けるのか。そこに人生の意味が見えるのかもしれない。

 

 最後に  

 違った視点で解釈してしまった感が否めないですが、まだまだ分からない部分もあるから、もうちょっと読んでみようと思います。三浦しをんさんの小説は初めて読みましたが、アニメにもなった「船を編む」も読んでみたいです。また「光」は映画になるみたいで、楽しみな作品の一つです。