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ヘビースモーカーが簡単に禁煙できた方法 禁煙できない理由

 私は15年間タバコを吸っていましたが、禁煙に成功しました。

恥ずかしながらタバコを初めて吸ったのは14歳、現在29歳にしてタバコを完全にやめました。

禁煙する直前は1日に30本のタバコ(glo)を吸っていました。

しかし、「禁煙セラピー」という本に出会い、この本を読んだ瞬間からタバコを吸う本数が0本になりました。

 

禁煙したいと思っている方へ

「禁煙セラピー」を読んでください。

たった1000円(タバコ2箱)でタバコが完全にやめれます。

しかも楽に。 

この本の良いところは、読んでいる間にタバコを吸っていいことです。

読み終わるまでは、いつも以上にタバコを吸うことを個人的におすすめします。

ただ読み終わる頃には本当にタバコを卒業できます。

私が禁煙に成功した後、友人・上司の計5人に勧めたところ何と全員禁煙に成功しました。(嘘みたいですが、本当です。)

3日くらいで読めるくらいの内容ですが、本を読むのが苦手な方やお金をかけたくない方は、この後に記した禁煙セラピーの重要なエッセンスをご理解ください。

 

先に紹介した禁煙セラピーを読んで私が感じた「愛煙家が禁煙できない理由」を記します。禁煙出来ない理由は次の勘違いがあるからです。

タバコに関する3つの勘違い

「禁煙セラピー」を読んで分かった、タバコに関する3つの勘違いを次の通りです。

  1. タバコは美味しいもの
  2. タバコを吸うとストレス解消
  3. タバコが無い人生は寂しい

すべて”勘違い”です。以前の私は上の3つを思っていましたが、よく考えてみれば全然そんなことありません。

 

1.タバコは美味しいもの

「タバコは美味しい」は完全に間違いです。

人生最初のタバコを思い出してください。生まれて初めて吸った1本です。

美味しかったですか?

 咳き込んで、頭がクラクラになりながら吸った、あの1本目のタバコの味はどうでしたか?

あれがタバコの味です。 

いまは美味しく感じる? いいえ、違います。ただニコチンを補充しているだけです。

ニコチンが足りなくなってイライラしている状態でタバコを吸うから美味しいと錯覚しているだけです。

ヘビースモーカーは足りなくなったニコチンを補充するだけのマシーンであり、味なんて全く気にしていないはずです。

さっき吸ったタバコの味は美味しかったですか?

 

2.タバコを吸うとストレス解消

「タバコを吸うとスッキリする」は一番の勘違いです。

タバコを吸っている人は気付いていないのですが、タバコを吸って解消されるストレスは、喫煙者のみが抱えるストレスです。

喫煙者にとって一番のストレスとなるのはどんな時ですか?

それは、吸いたくても吸えない状況でしょう。

 こんなストレスは非喫煙者には無いです。

このストレスの正体はニコチンに由来しています。

ニコチン中毒者は、ニコチンが切れる事にストレスを抱え、タバコを吸う事でこのストレスを解消しているだけです。

 

喫煙者はストレスを作っている正体がタバコであることを十分に理解すべきです。

  1. ニコチンが切れかかってイライラする。
  2. ニコチンを補充してイライラを解消する。

 この繰り返しです。馬鹿げていませんか?

ストレスを作るのはタバコであり、ストレスを解消するのもタバコです。

禁煙セラピーではこのことを「たばこの奴隷」と呼んでいます。まさにピッタリです。

 

3.タバコが無い人生は寂しい

 タバコをやめた方が良いのは分かっているけど、何か大切なものが奪われてしまうのではないか?

例えば、食後の一服、仕事終わりの一服、あの最高に美味しいタバコが無くなる人生は考えれない。

そう思っていませんか?

「食事+タバコ」「仕事+タバコ」「飲み会+タバコ」、、

常にセットになっていたタバコが無くなったら、人生の楽しみが半分になってしまうのではないか? 

 正直、私はこれが怖くてずっと禁煙に挑戦すらしませんでした。

 

しかし、今だから言えますが、これ完全に勘違いです。

食後の一服が至福のひととき?

大きな勘違いです。ちょっと考えればすぐに分かることです。

タバコを吸った事がない人が、食後に初めてタバコを吸った時どう思うでしょうか。

 咳き込み、意識が朦朧として吐き気に見舞われるでしょう。この人はタバコのおかげで食事が美味しくなったでしょうか?何となく食事が終わった感覚になるでしょうか?

タバコは食事や飲み会にプラスアルファを与えるものではありません。 

不味くて臭くて不潔なタバコが食事や飲み会を昇華させる事なんてあり得ません。

前述の通り、ただ単に足りなくなったニコチンを補充しているだけです。 本当にそれだけです。

 

タバコを卒業した私が食後や飲み会で思うことは、、、

あの「美味しくなく」「ストレスを生み」「やたらとお金がかかる」タバコを吸わずに済むことが幸せで堪りません。  

 「食事+タバコ」「仕事+タバコ」「飲み会+タバコ」、、タバコは何かのセットでありません。

終わりなきニコチンの補充、タバコの奴隷、ストレスの再生産

喫煙者と非喫煙者どちらが寂しい人生でしょうか?

 

 

禁煙は難しくない

 最後に、、、正しい手順に沿えば禁煙は簡単です。

その手順は「禁煙セラピー」に書いてありますので、ぜひ読んで頂きたいのですが。

 

間違った手順の禁煙は相当なツラさがあると思います。

だって、タバコを一番吸いたくなる状況は「タバコを吸いたくても吸えない」時ですから。

 

禁煙セラピーの禁煙方法はツラさが0です。私が保証します。

何度も禁煙に失敗している方も、初めて禁煙に挑戦する方も一度「禁煙セラピー」を読んでみてください。たったタバコ2箱です。

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「アイデアの作り方」 ジェームス・W・ヤング 感想

 

アイデアのつくり方

アイデアのつくり方

 

 

  アイデアは突然生まれるものではなく、既存の要素の組み合わせである。偉大な発明や独創的な発想は、天から降ってくるものではなく、経験や努力の賜物であると筆者は考えている。確かに、新たなものが生まれる時には、「今」あるものが必要となる。例えば、円形のテーブルを発明した人は、「机」と「円形」という概念を知っていたはずだ。新たなものは、過去にあったものの組み合わせから成り立つというのは非常にロジカルだ。つまりアイデアを作るには、多くの事を知っていれば良いということになる。ごく単純である。

 多くの事を知っていれば良いというと、コンピュータ将棋が思い浮かぶ。最新のコンピュータ将棋のアルゴリズムは、全ての指し手を評価して最も良い手を選ぶらしい。将棋では、一局に平均的に約110手を指すのだが、1手における選択肢は80である。80手を110回組み合わせるのだから、一局で駒の動かし方は約80の110乗にもなる。この膨大な数の中から最も良い約110手を選び出す。だからコンピュータが人間に勝ってしまう。勝つためのアイデアは多くの指し手を知っているところから生まれてくる。

 そうすると、人間がコンピュータに勝つ事など不可能なのかもしれない。それは将棋だけでなく何でもだ。人工知能は人間が処理しうる情報の何倍ものを操る。「今」あるものを多く集めることに特化しているのだ。アイデアが既存の要素の組み合わせなら、それは人間よりコンピュータの方が得意としている。

 ただ、組み合わせれば良いということでもない。将棋のように「玉将」を取れば勝ちという単純なものであれば、コンピュータが得意なのかもしれない。でも現実は違う。評価がいるのだ。例えば、私が自動車と鉛筆を組み合わせて、運転しながらノートを取れる自動車を発明したとしても、それは全くの無価値なものである。無用と評価できるからだ。考えてみれば、コンピュータ将棋に価値があるのは評価が単純だからである。玉将を取る手に高い評価を下せば良い。それに対して、この社会にとって何が良いのか評価するのは非常に難問だ。例えばこれはどうだろうか。自動車と雑巾を組み合わせて運転しながら道路を掃除できる自動車。道路が綺麗になるから良いアイデアだとなるかもしれないし、事故の原因になる可能性もあるから悪いアイデアとなるかもしれない。このように評価をするのは難しくコンピュータでは不可能だと思われる。

 そうのような事を言っても結局、評価をするにも多くの事を知っている必要があるから、情報を集めたり様々な事を学ぶのは重要である。そうして、どんなことがあろうとも評価を下すのは人間であるため、正しい評価ができるように成長しなければならない。最終的にはごく普通の話であるが、この普通な事を論理的に説明している「アイデアのつくり方」は大切にしたい一冊である。

「光」三浦しをん 感想

 

光 (集英社文庫)

光 (集英社文庫)

 

     

 3人の視点から話が進んでいく小説。不幸な事が次々と起こるので、続きが気になってサクサクと読めた。

 まずタイトルだが、なぜ「光」だったのだろうか。明るい話ではないため、ポジティブな意味での「光」ではないのだと思う。

『光がすべての暴力を露わにした。』

 ところどころに出てくる「光」は悪い事が起こるような、見つかるような、そんな不吉なものだった。解説の吉田篤弘氏は、「光=神様」と解釈していた。「神様=光は何もかもを平等に照らし出してさらけ出す。」「我々はその光から逃れられない。」小説の中で起こる津波、虐待や浮気は現実で起こらないものではない。不幸は誰にも降りかかるし、向き合わなければならない。不幸から逃げることはできないのだ。物理的にも光はどこまでも侵食してくる。そんな不幸に登場人物はどう向き合うのか。

 輔(たすく)の場合

 輔の不幸は虐待・支配を続ける父親の存在だろう。輔には母親がいなく、父親もいないと同然であるため、愛を享受せずに生きてきた。そんな不幸に対して、輔は信之に助けを求める。自分の存在を認めてくれる人間だ。輔の生きがいは信之に認めてもらうこと、構われることである。欲求段階説でも社会欲求と愛の欲求は、人間の欲求として最初の方にくる。そんな輔は皮肉にも信之に殺されてしまう。ただ輔が殺される時、輔は幸せになったようだ。輔が殺される場面で、そのような表現がなされている。

『何か言おうとしたようでも、笑ったようでもあった。』

『そこにはわずかに、驚きと喜びの色があるようだった。』

輔は愛を求め生き、そして信之に殺されるという最大の愛を受け取って死んだ。なんとも残酷ではあるが、輔はこれで満足だったのだと思う。

 信之(のぶゆき)の場合

 信之の不幸は、かつての恋人の愛する美花が自分の側から離れていること、美花が安心して生きれる状況ではないことだ。それらに向き合うために信之は殺人や騙しを続けることになる。美花のためなら何でもするという信之は輔と同様に愛を求めて生きている。クールな印象の信之だが、愛に狂い冷静さを欠いている場面もある。

『だが、やはり美花も俺を忘れていなかった。俺を呼び、求めている。』

そして信之は美花のために、すべてを片付けたのだが、思い通りにはいかない。美花は自分のことなど求めていなかった。不幸に立ち向かい、愛のために奔走したが、殺人などの罪が残り、妻からの信頼は失った。

 美花(みか)の場合 

 美花の不幸はない。そもそも美花視点で書かれていなかったから、詳しいことは分からないままだ。ただ、美花のマネージャーの発言から何となく推測することができる。

『篠浦の才能は、女優としてのものだけではありません。そのとき自分にとって必要な男性を、うまく動かすことができる。わかります?』

美花にとって津波も山中との淫行も一時的な不幸であって、自分の人生を突き動かすような不幸ではない。立ち向かう不幸など存在しないのだ。美花はあまり感情がなく、社会で何となく生きていければ良いという考えである事が推測できる。信之に対しても誰に対しても愛がなく、自分の社会的な成功が中心にある。

 南海子(なみこ)の場合 

 南海子の不幸は、不安そのものである。失踪した人殺しの夫、思い通りならない娘、近所やママ友との付き合い。すべてに対して不安を抱いている。それに対して南海子は立ち向かう。それなりに頑張っているのに、上手くいかない。そんな南海子だが意外にも冷静な女性であることがわかる。夫が失踪してから数日に間に、夫の愛を信じて帰りを待つのではなく、一通りの事を済ませた後、お金のことやこれからの事を心配し始める。

 

 何が不幸で何が幸せなのか

  それぞれの登場人物を見てきたが、客観的に不幸なのは誰であろうか。私は不幸なのは、若くして死んだ輔と人殺しをした信之だと思う。美花と南海子はどこにでもいる真っ当な人間だとも言える。

 不幸な輔と信之に共通することは、愛に忠実だったこと。これは特に美花と対照的である。輔は信之に愛を求め、信之は美花に愛を求めるが両者とも結末は悲惨なものとなっている。対して美花は最初から愛など信じず、人を利用してのし上がる。また南海子は愛をすぐに捨て、効率よく生きる方にシフトする。そして不幸にはなっていない。

 ただ、美花と南海子は幸せなのか

 美花と南海子は不幸ではないと思うが、だからと言って幸せでもないと思う。それは何も求めない、希望がない生き方であるからだ。輔と信之は客観的に見ると不幸せかもしれないが、美花と南海子よりも幸せに近かったのだと思う。それは一回しかない人生を必死に生きようとした事にそう感じたのだからだと思う。人を利用して女優として成功したり、娘を良い学校に入れてあげるためにいい人を演じるのは、生きていて楽しいのだろうか。それが幸せなのだろうか。

 

どう生きる

 美花から死んで欲しいと言われた信之は、何もなかったように南海子の元へ帰ってくる。その後の信之の人生はどうなるのだろうか。簡単に予想できる。「死んだも同然で生きていく」のだろう。信之は生きる希望だった美花に突き放され、希望も何もなく生きていくのではないか。美花の事を想い、嫉妬したり興奮したり、時には人まで殺してしまうほど生き生きしていた信之はもう見られない。 

 無難な生き方とはよく言ったもので、難が無い生き方をどう思うかである。人を殺すのはもちろんいけない事だけど、難に立ち向かってこその人生だと言えるのかもしれない。難に立ち向かった時に、人の感情は動く。笑ったり怒ったり泣いたり、それが人としての生き方なのかもしれない。死んだ輔を除いて、信之、美花、南海子はこれから無難な人生を送っていきそう。何にも感じず、ただうまく生きていく。それが人生であっていいのか。

 

 「暴力はやってくるのではなく、帰ってくるのだ。」

『息をひそめて、待っている。再び首をもたげ、飲みつくし、すべてを薙ぎ払うときを。それから逃れられるものはだれもいない。』

 光は暴力を露わにして私たちに向かって降ってくる。それにあっさり負けてしまうのか、それとも負けを認めないでいつまでも戦い続けるのか。そこに人生の意味が見えるのかもしれない。

 

 最後に  

 違った視点で解釈してしまった感が否めないですが、まだまだ分からない部分もあるから、もうちょっと読んでみようと思います。三浦しをんさんの小説は初めて読みましたが、アニメにもなった「船を編む」も読んでみたいです。また「光」は映画になるみたいで、楽しみな作品の一つです。